またしても祖母の女子力にいらっとして実家から帰ってきました。
こんばんは。
よくもまあ自分でできることをあれもこれも人に丸投げするわ…とモヤったところに、イライラは気づきのサインだよ~と諭す友人の顔がよぎりました。
今宵もありがとう。専門職すごい。
祖母にいらっとするのはたいてい、わたしにないものを彼女が持っているパターン。
今回は彼女の援助希求能力の高さに嫉妬です。
援助希求能力、要は助けてって言う能力のことです。
メンタルヘルス界の人気ドクターによると、他人に頼るのは実はめちゃくちゃハードル高い行為なんだそうです。
だって助けてって言って断られたら結構ショックじゃないですか?
わたしはショックです。
(ひどい捻挫で動けず買い物を頼んだら昼寝ドタキャンで何もしなかった男をわたしは二度と信用しない)
だけど助けてって言えないと1人で抱え込んで爆死するわけで。
おのれだけでなんとかできることなど高が知れているので、どこかの局面で必ず他人に頼らないとあかんときがくるのです。
だから、ヘビーな局面で他人を頼れるように、日ごろからショボイお願い事をすることで、助けてと言うことに慣れていくと同時に断られることにも慣れておくことが大事なんだそうです。
(予め誰にどの程度のお願いができるかを知っておく作業とも言えそうですね)
わかりみで首がもげそう。
数年前にこの説法を受けているにも関わらず、相変わらず助けてって言えないわたしに対して、ナチュラルボーン援助希求の祖母。
自然に、何回も、しかも受け入れられるまでめげない。
見本オブ見本。そりゃ…めらっともなります。
大丈夫。イラっとしただけでおわりません。
前出のドクターは、援助希求能力を高めるには、しょぼいお願いをすることと言っていました。たとえばペン貸してとか、荷物もって、とか。
当時なるほどーと思っていても、いまひとつ習慣にならなかったんです。
思い返すと、そもそも、不快(不便)な状態が当たり前で、どういう状態が快なのかわからないので、何をお願いしたらいいかも想像できなかったのだと思うのです。
ですから、助けてと言えるようになるには、何が不快で、どういう状態が快で、どうしたら快になるかを明確にするという前処理が必要だ、というのが今回のキモです。
たとえば、わたしは、一人飯が続くと精神衛生が荒れて不快です。
人と一緒にごはんを食べる率上昇に比例して快適になります。
なので、わたしの援助希求の大半は「ごはんたべよう」に置き換えられます。
好きな人をごはんに誘い、好きな人にごはんに誘われると喜ぶ。
整理するといたってシンプルですね。
みなさんは、何が不快ですか?どんな状態が快ですか?