塩鮭のライティング遡上

文章力向上のためにひたすら書くブログです。

42:結婚について

すこし複雑な家にいたので、結婚など無意味、と思っていました。


認めるまでに時間がかかりましたが、わたしは心の奥底では、結婚がしたい人でした。
結婚は、家族を作る目にみえてわかりやすい形ということです。保障がほしいとは少し違います。


ネガティブなことも、ポジティブなことも、わかちあい道を探す、一見面倒に見えるプロセスを惜しまずに続けられることが、家族というものの本体だと、思います。


その本体をわかりやすい形にしたものが、結婚という制度であるだけです。


親の形式と実体の不一致から、嘘や秘密がうまれ、葛藤や誤解、悲しさ怒りを溜め込んできたために、婚姻制度は忌むべきものと思っていたに過ぎません。


人は変わります。
変わること自体は悪ではなく、変化に合わせて心と体を無視せず、外側も一致するように行動しないことが物事を複雑にするだけのことです。
一致させた先に離婚があったとしても、それはその関係が役割を終えた、お互いにやりきったのであれば、祝うべきことです。


だから、結婚に意味はあります。
血が通わなくなったら、感謝して、解消する。そしてまた新しく家族になればいい。

 


新しい時代に、結婚制度が解体していくとはよく聞く話ですが、それは、都合よくフリーダムになることを意味するのではなく、面倒をいとわずに関係し続けた先に、婚姻関係を基盤にせずとも家族の本体が体現できる人が増えていく。だから、結婚という制度を使うかどうかは今後、個人の嗜好によるものになるということだと思います。

 

いずれ滅びゆく制度だとしても、過渡期ともいえるいま、わたしにとっては役に立つ制度であると思います。

だから、わたしは、結婚というかたちがある状態を体験したい。それだけのことです。
自分に、正直でいようと思います。