もげろと叫びつくし、死にたい自分を笑えるようになったら書く意欲がなくなっていました。w
さて、父は死んでから一度も夢に出てきたことがなかったのですが、1週前、初めて父と夢で会いました。
その流れで久しぶりに死について考えていると、近親者と死別直後の知人と食事をすることに。
振り返ると、3年前は「他人を完璧にケアしないと自分が嫌いだった人間になってしまう」と思っていたから、無理をしてcompassionateな人を演じてきたのだなとしみじみします。
今回に戻ると、自分を殺してまで優しくしていないので、損した気持ちはありません。
わたしの個人的な話は知人を傷つけたかもしれませんが、相手を追い詰める言葉を使わないだけで十分だと思えるようになっていました。
害も益も与えていない。安らいだ気持ちです。
「完璧な」配慮など存在しないし、「完璧」であろうとする必要もない。
配慮の呪縛から解放された満月。憑きものが落ちた夜でした。