塩鮭のライティング遡上

文章力向上のためにひたすら書くブログです。

遡上:13:「聴くこと」は対価の発生する専門技術である

今日は 遡上8の続きです。
 
「愛せないモノローグ話者」に出合ったときの対処法について書きます。 
 
 「愛せないモノローグ話者」は、解決する気のない相談事、頭の中で繰り広げられる不平不満といった ネガティブなモノローグをのべつまくなく滔々とくりだしちゃう人を指します。
最近まで彼らとのかかわりに困っていたので、それを回避するニューノーマルを編み出しました。ニューといってもすごく普通です。たぶん。
 
 
人間やってればトラウマの一つや二つ、不満の百個や二百個だれでもあるし、他者に弱音を吐けることは生き延びるための必須スキルです。
ですが、周囲の人間が聞ける程度のものと手に負えないものとがあります。
その区分けをして、許容範囲の愚痴は友人へ、手に負えないものは専門家へ。
この区別が認知されていないように思うのです。
 
解決する気はないが傷ついていて慰めてほしい。そして専門家に対価を払って聞いてもらうようなことを、一般人相手に相手の許可もなくぶちまけてくるのが困るところです。
 
「ジャッジせず聴く」というのは、専門技術です。
 
 一般の社会では、自分の価値観に合わないものを否定する人は多いし、他人のネガティブな感情とどう付き合うかなんて学びません。
個人的な感情と距離を置き、相手の感情や体験を否定せずジャッジせず聴くことが専門技術であるから、カウンセラーという職業があるのです。
 
ネガティブなモノローグ話者の多くは、傷つき病んでいる自覚のない患者です。
傷つき病んでいることが悪なのではなく、解決する意図なく、関係性の乏しい他者に開陳してくることが迷惑なだけです。
かつてわたしも傷つき病んでいたので、彼らの境遇を理解はしますが、同時に迷惑と思う自分も許すことにしました。そして、聴くか聴かないか、選択の自由を自分に与えました。
わたしは職業カウンセラーでないし、金銭を受け取ってもいませんから。
 
なので、
本人に解決する意図がない、もしくは自分が問題を抱えていることに気づいていない、そして金銭が介在する依頼人でない、ノローグ話者の話は聞かない。
 

ことにしました。

そして、黙殺して席を離れる、ほかの人に話題を振って避ける、新しい生活様式を取り入れました。
 
この方法で相手を直接的な言葉で傷つけることもなく、こちらが受けるストレスを最小化できると実証済みです。相手も私のことを嫌ってくれるようで、面倒な話を振られることもなくなりました。めでたい。
   
 
 
 
ところで、わたしの祖母は面倒なモノローグの多い人です。
起承転結もオチもなく延々としゃべります。
ですが、祖母が繰り返す長い愚痴は聴きます。祖母が感じる不安を否定しません。そうだよね、そう感じるよね。と言って寄り添います。
それは、彼女にはたくさんの美点があり、「ちょっとめんどくさいが愛すべき大切な人」だからです。 
 
人を傷つけない聴き方は苦境の人を助けます。ときに命を救う場合すらあります。
大切な人が困っているとき弱っているときに寄り添える技術があるというのは、自己肯定感を高め、彼彼女とともにいられるという金銭に換算できない喜びも与えてくれます。聴く側が自らの意図を持って提供する傾聴には、愛の循環が起こっているように思います。 
 
「大切な人に寄り添うやさしい聴き方」は、だれでも知っていて損をしないスキルとすら思うのですがどうでしょう。
講座でもやったら自分と相手と周りの人に楽しく貢献できそうな気がするな。
 
 ではまた明日。