塩鮭のライティング遡上

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68:女の美しさ(もげろの対になるパワーワード考察)

高校のときに「ブス」と「ブサイク」のどちらが言われて嫌かというディスカッションをしたことがあります。
漢字で書くと「醜女」か「不細工」です。
わたしは断然醜女推し。
顔の造作のみをけなす「不細工」に対して、「醜女」は顔の造作のみでなく行いや発言・生き方を含めて「醜い」と称することが可能な表現だからと言った覚えがあります。
 
まったくくだらないのですが、この話が前々回と前回につながります。

前回は、男をもげろと罵るのなら古い価値観で生きている女にはどう言うのだろうかと考えていました。

 
前回の問いの答えが、醜女です。ブスです。
醜女を推す理由は2つあります。
 
ひとつは純粋に見た目をけなされたら腹が立つからです。多くの女性は化粧・服装・体形という容姿にかかわる要素に時間と労力を投下し(なければいけないと刷り込まれ)ているし、見た目で評価される部分が大きいですしね。
もうひとつは、年を重ねるごとに造作よりもどのように生きてきたかが顔に現れる場合が多いからです。
見た目には生き方すべてが包摂されるという前提のもと、醜いとけなされることは女にとってダメージが大きいのではないでしょうか。
 
ではなぜ生き方にまで言及するかといえば、古い価値観で生きている女の悪影響が及ぶ範囲が広いからです。
ここでは古い価値観とは「女は男に従わねば生きていけないので、男のすることには忍従すべきである。そうしない女には価値がない」と仮定し、その価値観に基づく行動の例をいくつか挙げましょう。
 
【男】許容しすぎ。嫌なことも許してしまうのは、愛ではなく依存。そして依存という手段を使った支配。つまるところ共依存
歴史的にそうなるよう仕向けられたのは女のせいではないのだが、男を許容しすぎ問題が諸悪の根源と言っても過言ではない。
 
【自分】日本はとくに卑下が多い。自分を粗末に扱いすぎ。浮気男と話合いもできないもいい例。
 
【自分以外の女】 浮気した男は放置してキャットファイトに代表されるような、嫉妬を女に向けるアレ。
 
【子ども】役に立たない男の代わりに子どもに密着。過剰な世話焼きで何もできない子になるとか、旦那の悪口の聞き役など多様な役割押し付けの被害で子どもに問題行動例多すぎ。
 
さて、上に挙げた女の古い価値観による行動は果たして美しいでしょうか。
 
対男、対自分の2つは連綿と家族の価値観を見て育つうえでほぼ強制されたものなので、醜いというよりも悲しさのほうが勝ります。
 
ですが下の2つは醜い。なぜかというと、どちらも「自分に価値がない」という価値観のアップデート不足を他者に危害を与える行為で代償しているからです。
 
自己価値のアップデートができていれば、「浮気するような男に価値はないし、そんな男を捨てても自分にはほかにもっといい男性が現れる」と思うことができます。
それを怠っているので、女に敵意を向けて排除して(あまり価値のない)男を自分のもとにつなぎとめることが重要と認識しているわけです。子どもを夫の代替として依存するのも同じ論理です。自分に価値がないので夫と離婚するよりも子どもを代わりにして継続する方を選ぶのですから。
 
加えてそういう女性は共通して「自分は悪くない」と思っていることが多いようにも感じます。
パートナーが浮気をしたら相手の女が悪い。子どもに問題行動があれば配偶者や学校が悪いといった体で、笑えるほど自分に非があると思わない人がわたしの見聞きした範囲では多いように見受けられます。
これは純粋な個人的見解ですが、自分が悪いと思えない(客観的に自分を振り返ることができない)から、価値観のアップデートができず、他者を攻撃する行動でしかその矛盾を解消できないので同じことを繰り返す、というループが説明できるのでそう大きくまちがってはいないと思います。
 
 
まとめると、もげろの代わりに醜女と言いたくなるような女というのは、「自分を顧みる作業を怠っているので、男と歴史に強制された自分に価値はないという思考パターンを修正できず、他者に害なし続ける人」ですね。
 
とはいえ、さすがに「あの人醜女」とストレートに言うと発言者の評判が落ちますから、「あの方はあまり美しいとは言えないのではないかしら」くらいがいいのではないかと思います。
 
まったく胸糞の悪い話を繰り広げましたが、生まれてから常識とされてきた思考パターンを自分で修正するのは結構大変です。だから、自分を肯定するための具体的な努力を続けた結果、「女は男に頼らねば生きていけないので忍従すべきというのは幻想であり、古臭い無礼なちんこなどもげて問題ない。なぜなら自分にはこのままで価値があるからだ」と思えるようになった女性は、顔のつくりや体形にかかわらず美しいのです。
そういう女性もたくさん見てきていますから、こんな悪態ばかりつかず、彼女たちと同じくわたしも美しい人になりたいと思う次第です。
 
年を重ねるごとに容姿に生き方が現れるのは男女問わず世の常ですから、自戒をこめて。