いまでこそ ポンコツですが、 これでもむかしはけっこうちゃんとした人だったんです。
勉強も仕事もそつなくこなす、そこそこにできる人でした。
ただ、 当時を振り返ると、行動の動機が、失敗したくないから、怒られたくないから、よい人にみられたいから、とかだったんですよね。 恐れから行動してたの。
評価してもらっていましたが、朝晩ベッドで仕事のことが頭から離れないし、休日出勤もよくしてたし、針のむしろを爪先立ちで歩いているような感じ。
期待されることって、仕事が増えることとほぼイコールじゃないですか。
行動自体が褒められるようなことでも、恐怖から行動した結果、真面目にやりすぎて負荷が増えるという別の恐怖が生まれるわけで。
しかも恐怖から逃げるためにポンコツ化しても、さらにまだ怒られるとかクビになるんじゃ…みたいな心配は無限に生まれてきちゃうから、精神衛生上は極めてよくないですよね。
恐れから行動したらどこまでいっても恐怖しかないという圧倒的事実。
どーん。
かといって、針のむしろでダンスするような暮らしに戻るのもマッピラゴメンです。
どうしたもんかのうと悶々としてると、ふと「それは恐れからか愛からか?」という質問が降ってきました。瞑想ってこういうところで恩恵がやってくるから好き。
そうだ、そうだ。
自分のために、自分への愛として、きちんとしてみるのはどうだろう?
ちゃんと経費精算したほうが気持ちいいし
ちゃんと料理したもの食べたほうが健康にいいし
ちゃんと掃除した部屋に住んでるほうが気持ちいいし…みたいな感じ。
脱ポンコツしたらまた書きます。
ポンコツのままでもそれはそれで書きます。
人生は実験。