他人の色恋は示唆に富むものがあります。
先日ある男性が結婚しました。
彼には傍から見て明らかにアレな関係とわかる同僚(人妻)
彼と人妻が働く店を新妻が訪れ、当然三つ巴修羅場になるのですが、
それならばと、妻は夫に転職するか離婚するかどちらかを選ぶように迫り、結局転職させ人妻との関係を清算させた旨を周囲に言ってまわり一件落着。
しかし、新妻は素晴らしい仕事ぶりながらもったいない。
なぜか?
ここで対照的な夫婦を見てみましょう。
この夫は嫁に直接する愛情表現に加えて、周囲の女性には疑わしくならないようにふるまっています。嫁は夫の明らかな愛情表現によって自信を持っており、夫の交友関係を見守る余裕があります。夫が妻に自信を供給しているのですから平和です。
翻って、前者の夫はすくなくとも周囲から見て嫁が誤解するような行動をとっています。ですから嫁は夫から自信を得るのではなく、激しい行動で夫周辺の疑わしい人物を現在未来にわたって排除するしか自信を得る手段がありません。
夫の妻本人そして周囲への態度で、妻に自信がつき行動が変わるのですからわかりやすいものです。
これだけを見ると妻に愛情を注がない男もげろとなりそうですが、皮肉なことに愛情≒自信の供給源は他者ではなく自分です。
くだんの新妻の実務遂行力がいくらすばらしくても惜しいのは、おそらく自分に自信がないので自分のことをそこまで好きではない人を好きになり、執着するループに本人が気づいていないのだろうことです。
書いていて耳も胸も痛いのですが、自信がないときほど自分のことを好きではない男に惚れるというのは女あるあるではないでしょうか。
自信がないので自信をつけてくれそうな人と付き合うものの、相手の心が自分にないので代償的な行動をとり、その行動から自信がないことが周囲にもわかってしまう。つらい。
男に頼らず自信をつけたときにそれを強化させてくれるような人と縁ができる仕組みであれば、結局は自分で自分の世話をするのみなのかもしれません。
身につまされるゴシップでした。