頻繁に旅行に行ったり留学しなかったかわりに、内側を旅してきたという感覚があります。
感情や記憶を、身体を、繊細に感じること。
そうした内側の旅や探検は、アトラクティブに映らないと思います。
どこにいった、あそこにいった、あれがきれいだった、これがおもしろかった、目に見える形がないから他人に話すのも共感を得るのもむずかしく、自分のネガティブなものを視ることは気持ちのいいものではありません。
だけど、内側を耕し滋養していることは、巡り巡って外側も豊かに味わい深くしてくれる、近道のようにも思います。
良い悪いではなく、悲しみも喜びも、硬さも柔らかさも、あるものを感じては味わってそれとともにいることを繰り返していくと、ときどきぶわっと臨界点がきたように変わっていく。
そういう内向きの探検がもたらしてくれる外側の旅は、ガイドブックやツアーで巡る旅とは違う驚きや喜びを伴うものになると感じています。
内側の旅が一段落してきて、この先は外にも探検に出られるのかもしれません。
むかし読んだ茨木のり子さんのみずうみという詩に、すべて語られている気がします。
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だいたいお母さんてものはさ
しいん
としたとこがなくちゃいけないんだ
名台詞を聴くものかな!
ふりかえると
お下げとお河童と
二つのランドセルがゆれてゆく
落葉の道
お母さんだけとはかぎらない
人間は誰でも心の底に
しいんと静かな湖を持つべきなのだ
田沢湖のように深く青い湖を
かくし持っているひとは
話すとわかる 二言 三言で
それこそ しいんと落ちついて
容易に増えも減りもしない自分の湖
さらさらと他人の降りてはゆけない魔の湖
教養や学歴とはなんの関係もないらしい
人間の魅力とは
たぶんその湖のあたりから
発する霧だ
早くもそのことに
気づいたらしい
小さな
二人の
娘たち