小さいときの記憶に、忘れられない場面があります。
遺品整理で出てきた父が母に宛てたたくさんのラブレター。
西陽の差す部屋で見つけてしまった母の新しい恋人の写真。
そこで感じた感情や立てた誓いのようなものが人生に及ぼすよくない影響を、漠然と感じてはいましたがうまく整理できていませんでした。
ようやく言語化できるようになり、ほどけていく予感がしています。
母に対して、男の子として、女の子として、両性からの嫉妬を抱えていたのです。
父を独占し、そのうえ新しい男を獲得する母に嫉妬する女の自分。
父亡き後、頼ってもらえない男としての不全感と、母の新しい恋人に嫉妬する男の自分。
いわゆるエディプスコンプレックスの豪華ダブル仕様です。
正確には、男の子が母親を独占したくて父親に嫉妬するのがエディプスコンプレックス。女の子が父親を独占したくて母親に嫉妬するのはエレクトラコンプレックスというのだそうです。
母とうまく関係が築けないことなどから女の嫉妬の存在は薄々認識していたのですが、男の不全感と嫉妬は、仕事で有能であろう努力し一定程度よい方に機能したために、その存在をすっかり忘れていたようです。
外向きの有り様はさておき、子供時分から男女どちらも等しく持っていたのだな!と驚きとともにかつての感情を眺めています。
それらは悪いことではなく、成長の過程で生じるものがたまたまこんがらがっていただけで、わたしの中に男女が存在するのは、きわめて自然で、むしろ喜ぶべきことだと思っています。
なぜなら、尊敬する友人たちを見ていてると、彼彼女たちの行動や思考は、両性具有的で、その人の中で男女の調和がとれているからです。
その人の中に調和があると、過度に攻撃的にも、支配的にも、依存的にもならず、ニュートラルでフラットな関係を他人とも築きやすいのだろうな、という仮説をもってみています。
柔らかさや優しさといった女性性を、自立や強さといった男性性を、自分に欠けやすい要素を他者に求めるのではなく自分で満たせるというのは、パートナーとして異性とともにいて、支配や依存ではなく、調和や発展を産み出していける土台のようにも思うのでした。