無理を通せば通りがひっこむという慣用句が嫌いです。
それは道理を無視した人が利益を得て、他方が損をするからです。一見無理が叶って幸福かもしれませんが、他方の犠牲の上になりたつ幸福は持続しません。
無理を望むのが悪いわけでなく、無理を叶えたいならばそのための努力をするのが知性の正しい使い方です。
そのために知性があるのです。
わたしはそのように能力を使える人を大人と呼ぶと思います。
自分はそうあろうと決めていますから、おなじようにそういう選択をできる人が好きです。
道理を通して無理を叶えることに時間と忍耐は必要かもしれませんが、本当に叶えたいならばそのプロセスすら喜びではないでしょうか。