塩鮭のライティング遡上

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遡上:10:竹輪の穴

さみしさやむなしさを感じたとき、それを何か余分なもので埋めて麻痺させるのではなく、そのありよう、形状をじっと見ること、理解すること。
その先に、ありあわせでなく本当に求めているものを創り出していくことが、わたしにはしっくりくるな‥。
と去年のクリスマスに感じていました。

商業の作り出す雰囲気のめんどうくさいことよ‥!!


そのモヤモヤを昇華凝縮して、今年の書き初めで、竹輪の穴、と書きました。


その心は、さみしさや虚しさは忌むべきものでなく、必要なもので、埋めても埋めなくてもよくて、個性を生み出すものという感じです。


空洞がなかったら、ちくわは蒲鉾と区別ができないし、キュウリを詰めることもできなかったら、お弁当の名脇役にもかんたんおつまみにもなれない、ただの練り物です。


竹輪をちくわたらしめるアイデンティティが穴であるように、さみしさや虚しさの形はその人間を形付けるものであるはず。


だからそれは忌むべきものでも称賛するものでもなく、ただそういう形なんだね、と存在を認めていたほうがその人にフィットした幸福ができてくると思うのです。


竹輪でなに語ってるんだって感じですが。