塩鮭のライティング遡上

文章力向上のためにひたすら書くブログです。

58:おじさんというギフト

誰にでも、いやでも関わらねばならぬ人がいますね。

親だったり、配偶者であったり、会社の人であったり。

 

かかわらざるを得ない人というのは、自分の最も見たくないものを見せてくれるギフトだと実感した話をしましょう。

 

わたしの関わらざるを得ない他人はモラハラおじさん。

もう10年近く格闘してきました。

特徴を挙げると、

自分だけが賢いと思っている、他人の努力を否定する言動。

謝らない、弱い人に怒鳴ったり怒りを発散する。

一方で、同じだけの声で威圧すれば静かになる。

自分の非は認めないけど自分が思いついたように間違っていた点は変更はする。

 

おじさんの行動だけをみたら最悪です。

自分が劣っている気持ちになり何をやっても無駄と無力感が募りましたが、ナニクソと闘志を燃やして頑張ってきました。

 

言い方に難があるもののアドバイスは的確だし決して愛のない人ではないと、できるだけおじさんの良いところを見ようと努力してきました。

ですが、譲れない倫理観の相違ではじめておじさんと口論をして、もうこの人は変わらないし良いところを探しながら付き合うのは無理だと諦めました。

 

そして、おじさんを諦めた途端におじさんと同じことをしている自分を見つけてしまったのです。

別のところで、わたしは声高に異論を認めず正論で他人を罵倒していました。

 

やべえ、大嫌いなおじさんとわたし同じじゃねえか。ショックです。

しかし、おじさんと自分が同じであるなら、逆に想像できることもあります。

 

おじさんは才能のある人です。

世の中で何が起きているか客観的に見られる感受性があり、見えている世界を言葉で説明できる知性を持った人です。

子供の頃、この人の感受性はもっと純粋だっただろうし、言葉は全てを十全に説明しうるまで発達していなかったでしょう。

 

わたしは、子供の時自分が見えるものをいくら言葉を重ねて説明しても否定されたり、一見受け入れても何も変えない大人に接してきました。

 

おじさんにも子供時代に同じような抑圧があると仮定したら、

その諦めから、自分以外は馬鹿だと思う気持ちがわかります。

その絶望から、他人を否定する気持ちがわかります。

その悲しみから、怒り怒鳴り解ってほしいと叫ぶ気持ちがわかります。

 

性別・環境によって間違った方法をとっているだけで、子供時代に抑圧されたエネルギーの質ー言い換えると才能の質は同じなのだ。

 

そう思ったら、何かが解けていく気がしました。

私は人間なので、実際におじさんと接したらムカつくし、積極的に関わりたいとは思いません。

実際の行動は変わらないけれど、無理に良いところを探そうとしていた時とは別の質のCompassionが生まれたのだと思います。

 

予想するおじさんの歩んできた背景は共感を持って受容する。

一方でおじさんが現実にしているモラハラは許容しない。

モラハラと積極的に関わりたいと思わない自分を許可する。

おじさんに対するcompassionと自分の境界線を同時に持っているような感じです。

 

ここまで問題を分解できた満足でcompassionとともにおじさんを手放したら、面白いことに現実が変わっていました。

 

褒めるの、他人を、おじさんが。

結果に関わらず、その人のやったことを認めるの。

びっくりしました。

ちょっと泣いちゃった。

 

 

側から見たら変化してようやく普通ですが、それでも元の酷さを考えたらすごいことです。

男性の方が自分の癖を変更するのはプライドが邪魔することが多いと思います。

壮年といわれる年齢でなお変われたことに、おじさんの知性と勇気を感じました。

おじさんの小さくて大きい変化を心から祝福し自分のことのように嬉しく思っています。

 

ところで、身体的には男性として生きている両性具有な友人曰く、男にはちょっとでも褒めると調子に乗って努力を怠る習性があるそうです。

 

男版わたしとも言えるおじさんには、いつまでも成長してほしいという願いを込めて、すごいねなどとは決して言わずに見守ろうと思います。

57:料理という軍事力

全然書けない間にもう12月ですね。
 
最近の喜ばしいニュースは、今年の健診結果が視力以外はオールA。
去年引っかかった肝臓系の数値も見事に健康!
これもこの1年の自炊が増えた恩恵でしょうか。いい…とてもいい…!
 
この1年地道に自炊したり他人様が作ってくれる料理を食べていて気づいたのが、料理は軍事力だということです。
 
料理という武器を用いて隣国(他者)を侵略できるのです。
世に言う胃袋をつかむというやつですね。
 
料理能力という軍備は、自分の使いたいときに使って侵攻し気分がのらなくなったら撤退も可能。
 
ポイントは、「自分の意志で」使用と不使用を決めるというところです。
 
料理能力は女の標準装備として値踏みの対象になりやすく、かつ便利な機能として搾取もされがちです。
さして親しくもない男に料理できるのかと聞かれて相手の料理能力に加えて年収を聞きかえしたのはいい思い出です。もっとほかに話すことあるだろうよ。
 
さて料理を商品価値を高めるためのスキルと考えると反吐がでますが、自主独立を守り領土を広げる軍備だと思うならがぜんやる気がでます。
同じ料理能力でも、他者評価軸を満たすためにやるなら奴隷のスキル、モノのスペックです。
他人のためにすることが自分のためになるならば、料理は王のスキルだと思うわけです。
 
世の女の子たちは、20代早々から彼のために料理をつくるのというおくゆかしくかわいらしい商品としての建前と、胃袋をつかめば自分のためになるという本音の使い分けがきちんとできているのですね。
つくづくすごい。
彼のためにおいしい料理を作りたいなんてカユイ言葉を臆面なく無邪気に発するところまで含めて王のふるまいなのでしょう。
 
この話を友人にしたら爆笑されつつ諸葛孔明を読むべしと勧められました。クリスマスはすこし大きめの冷蔵庫を買って形から軍備増強し、煮物をしている間に兵法を読もうと思います。

56:捉え方がかわると難なくアウトプットが変わる

コロナ禍もほぼ2年、一番良かったのは自炊習慣がついたことです。
外食で味が濃いと感じることが増え、自然と自炊したいと思うようになったのはとてもよい循環です。
 
健康や節約のために無理矢理自炊せねばと頑張るのと、家で作るほうがおいしいと思ってやるのとでは継続力に雲泥の差がありますね。
 
自炊大好きとまではいきませんがメリットのほうが多いと実感する今日この頃。
なぜいままでかたくなに拒んできたのか。
 
思うに、料理は手をかけるべき+女は料理できるべきという無意識の規範がありました。
スーパーめんどくさがりの性格に加えてフェミった親に育てられているので、めんどう+女かくあるべしのおしつけ徹底抗戦で料理したくないになっていたのではないかと思います。
 
無意識の規範はおそらく日本特有の固定観念でしょう。
アメリカでもニュージーランドでもホームステイ先のママたちはそんな手の込んだ家庭料理などしていませんでしたし、ランチは果物とパンとか料理ですらないのはあたりまえでした。
価値観の植え付けがこわいなと思うのは、自分が一般認識にあてはまらないことを無意識に悪と思っていたところです。常識は二重にしこんだマインドコントロール
 
それに気づいたら、自分の性格を良しあしでなく単なる特徴としてとらえなおせばいいわけです。
めんどくさがりは合理的で効率的と言い換えられます。目的が明確で道筋がシンプルであるほど安心して行動し利益を得るのも早いのはメリットでしょう。
 
わたしにとって料理の優先順位は
工数が少ない
・洗い物が少ない
・必要な栄養素が摂取できてそこそこおいしいことでした。
 
見た目やおいしさよりも工数が優先されるので、肉魚は手間あり判定で最小限に。昆布・納豆・きのこ類・香味野菜の登場頻度が高いプチベジ仕様になり、主食は腹持ちがいい玄米になりました。
毎日の料理は、工数の少ない蒸し料理とレンチンスープでほぼ事足りています。
調味料の大半が塩・酒・油で済むので、結果として味覚が薄味好みに変わったのだと思います。
 
自分の性質をニュートラルにとらえられると苦労なく変われるんですね。(しみじみ)
 
これで去年の健診で指摘された高コレステロールが改善していることを祈るばかりです。
 
ちなみに合理的料理生活の相棒は、おそろしくメリット訴求がうまいこの本。
「モデルがこっそり作っている魔法の楽やせレンチンスープ」
材料を切るだけで、洗い物はまな板とボウルのみ。しかもうまい。
同じようにめんどくさがりにはとてもおすすめです。
タイトルが欲望丸出しなのは目をつむりましょう。

55:欠点の活用

従妹の結婚式に出席するので久しぶりにジェルネイルをしたのは先月のことです。
伸びてきてどうしようと考えていたところに100均でジェルネイルが売られているというのを見てやってみました。
 
所要時間はだいたい30分。
ジェルを硬化させるので塗り終わったら水仕事して全然平気。
すべて100均で賄ったので1000円程度で収まりました。
最高にズボラの味方・・・!
 
マニキュアの乾くまでの時間に耐えられずたびたび失敗していたのですが、ジェルなら待ち時間で失敗しないから自己効力感も高まります。
ほんとうに神・・・すき・・・。
 
ところでマニキュアの失敗くらい小さなことで自己肯定感が下がるのは、わたしが短気で面倒くさがりなのに「重箱のスミをつつくように細かいところに目がつく」からです。小姑か。
 
ジェルネイルでもおおむね満足はしたものの細かなところが気になりコツを調べたところ、
・甘皮の処理をきちんとする
・爪先まできちんと塗る
・両端の皮膚にはジェルがつかないように塗る
とうまくいくようです。
 
これらを守って足の爪を塗ったらかなりきれいに仕上がりました
出来はよいし小姑性質を活かせたしで自己肯定感爆上がりです。
 
というのも、自分のホロスコープで扱いに手こずっている乙女座火星のよい使い方なったからです。生まれたときの配置で乙女座に火星があると良い方に特徴がでれば細部に気がつく実務家になりますが、うまく使えていないと細部に拘りすぎて仕事がうまくいかないとか単に小うるさい人みたいになってしまうようで。
細かすぎて大局が見えなかったりやる気の方向が間違って暴走する性質に自己嫌悪していましたが、適切な使いどころを見つければ短所も長所になるとわかってほっとしました。
 
小さなことから一つずつ、短所だと思っていたものを活用できる場面をさらに増やしたいものです。
 
 

54:納豆が教えてくれたこと

持つべきものは友人で、憤懣を原動力に文章を書きがちな私によい示唆をくれました。
なので今日は好きなものについて書こうと思います。
 
自分が好きなものを他人に開陳するのは憤懣を書くよりも緊張しますが、あまり抵抗がないものとしたら納豆でしょうか。
 
子供のころから祖父の実家から送られてくる秋田の雪割納豆を食べて育ちました。
大徳寺納豆はにおいが強烈ですがつい2袋も買って帰ってきました。
友人から教わった納豆麹は2週間に1回は作り置きする常備菜になっています。
 
たびたび納豆をお土産にもっていったからか、友人から納豆好きなんだね、と言われて初めて納豆全般が好きなのかと自覚しました。
 
言われてみれば、黒豆納豆もひきわり納豆も好きですし、実家は茨城(納豆大国)です。
 
自分が納豆ラブだと自覚したところでとくにいいことはありませんが、他人から見ると自分の嗜好が明白だというのは面白いと思います。
 
笑えることに、ついさっき仕事の打合せで「行動をみればその人の好きは一目瞭然である」という話していました。
 
それについていつも考えているとか、自覚なくともそれに関連した行動をとっているとか、「していること」が語ることは多いわけですね。
 
人間は良くも悪くも無自覚に容易に嘘をつきますが、行動に嘘はないのかもしれません。
 
今日の夕食は納豆汁を作ってみます。
 

53:道理を通して無理を叶える

無理を通せば通りがひっこむという慣用句が嫌いです。

それは道理を無視した人が利益を得て、他方が損をするからです。一見無理が叶って幸福かもしれませんが、他方の犠牲の上になりたつ幸福は持続しません。

無理を望むのが悪いわけでなく、無理を叶えたいならばそのための努力をするのが知性の正しい使い方です。

そのために知性があるのです。

わたしはそのように能力を使える人を大人と呼ぶと思います。

自分はそうあろうと決めていますから、おなじようにそういう選択をできる人が好きです。

道理を通して無理を叶えることに時間と忍耐は必要かもしれませんが、本当に叶えたいならばそのプロセスすら喜びではないでしょうか。

52:羨ましい気持ちの収め方

他人と比較することは不幸です。生産性がないからです。

ですが、無駄で愚かだとわかっていても、同性の素敵な人と容姿や年齢や才能、家庭環境といったもちものを比べるのをやめるのは存外難しいものです。

なので、わたしなりに比較という地獄から距離を取れる理由はないものかと考えていました。

腹落ちする理由は人それぞれです。
たとえば外国のもっと過酷な状況の人と比べて日本に生まれただけで幸せというのも人によっては十分な理由になります。
わたしは頭では理解できますが腹落ちはしません。ほとんど日本から出た体験がなく、日本人の中での比較が続いてしまうからです。

いまわたしの中で最も納得がいくのは、羨ましくなるその人は前世、大変徳の高い僧侶だったと思うという方法です。

徳の高い僧侶が生まれ変わったんだから人徳があるのも恵まれてるのも当然よねーと思ったら、比較の気持ちが一気に消えました。

恵まれた人=前世徳の高い僧侶説になんの根拠もありませんが、反論のひとつも湧いてこないのでわたしはスカっとします。

驚いたのは、比較から解放されてみると自分も案外悪くないと思えたことです。
現状のままならぬ事どもを考慮するにわたしはもしかしたら前世極悪人だったかもしれませんが、そのわりには現世の家族環境も悪くはないし自分の努力でそれなりにやってきていると思えたからです。

自分が納得さえすれば理由は何でもよく、他人は他人、わたしはわたし。と思えることが肝要です。

誰もが与えられた条件の中で精一杯よくやってるよねという気持ちになれればようやく自分のことに集中できる気がします。