専門家に教えてもらったことを思い出したので書いておく。
怒りは二次的に生じるもの。
大抵の場合もっと感じたくない感情がその根底にある。
それを感じると自分が壊れてしまうように感じるからその感情を怒りで隠す。
根底にはあるのは、悲しいとか、寂しいとか、自分には価値がないと感じてしまう類のもの。
わかるとてもよくわかる。
振り返ると直近、善意を悪意に取られたり、頼まれてやった仕事をないがしろにされて怒っていた。
でも私は悲しかったのだ。
行為の理由を説明しても悪意と取られたり、信じていた人にひどい言葉をかけられてそれは悲しかった。
とても悲しかった。
悲しいと認めるのは怒るより数千倍難しいしつらい。
だけどこうして書けるようになって、少し回復してきたように思う。
感情を否定せず許容して、しかもそこから距離が取れると視界がクリアになる。
悲しいことがあると、それを糧に自分は何が心地よくてどんな関係を作りたいのかがもっと具体的に見える。
私は人間だから間違える。間違えた時は謝る。
だから同じように自分の間違いを認められる人が好きだ。
間違えていいし怒ってもいい。
怒りに任せて怒ってもちゃんと自分を振り返れる人が好きだ。
間違えないように傷つけないようにビクビクするんじゃなくて、やってしまったら修復できる、そういう関係がいい。
どちらか片方だけが悪いなんてことはありえない。
人間関係はいつだってフィフティフィフティだ。