愛してるとは不可思議な動詞だと思います。
動詞ではあるものの、行動を指す動詞ではありません。
実際の行動は、愛しているから●●する、と別の行為が現れます。
愛というのは美しい言葉です。
だから愛しているから何かをする-Doingの愛は、別の目的の隠れ蓑に使われやすく、えてして無自覚に愛の名のもとに他人を操作しようとする人も多いものです。
偽物の例は、見返りを求める場合や、「あなたのために離婚しないのよ」と壊れた夫婦関係を続ける理由を子供への愛とすりかえるパターンです。
本来的なDoingの愛は、相手から見返りがなくても、自分がやりたいから何かをするということだと思います。
Doingの愛だけでなく、Non-Doingの愛もあります。
Non-Doingの愛は、正確に言うと、相手の自由意志を尊重する、ということです。その人を変えようとしない、ということです。
愛している人に、”自分が期待している通りの方法で”愛を返してほしい、と思うのは人情です。
そう思うのは自然ですが、その通りに相手を動かそうとするのは、愛ではなく支配です。
かつてわたしもそのように試みたことがありますが、幸い、私の愛する人は操作されてはくれませんでした。
愛し合っているけれどわかりあえないこと、お互いの距離が埋まらないことに落胆しました。同時に、私もまた、愛する人の期待通りに動かなくていいということを学びました。
愛しているけど何もしなくてもいい。愛していることと、行動は別のものです。
相手の反応がどうであれ、自分がしたいからするDoingの愛と、相手に変わることを求めないNon-Doingの愛。
どちらもがあってよく、どちらもがあるから健全な愛になるのだと思います。