塩鮭のライティング遡上

文章力向上のためにひたすら書くブログです。

44:許すという行為

許すとは、トリッキーな試験です。

何かトラブルがあったとき、自己保身で相手に害をなすと、短期的には勝った気持ちになり、満足しますが、後々ツケを払う。

自分が損をしたように見えても、相手の幸福を願って行動すると、3倍増しでポイントがつき、ロングスパンでみるとより多くが入ってくるシステムなのではないかと思うのです。


例えば、AとBにトラブルがあったとします。

Aは自分の非については隠して相手の悪口だけを言いふらしました。

Bはそれは当事者間のこととしてだれにも話さず黙っていました。

あるときBが友人からAがそうやって話していたことを知ります。

それでは仕方ないとBは口を開いて、トラブルの経緯とAのしたこと、B自身が反省する点についても語ったとします。

結果としてどちらが信頼されるでしょうか。長期的にみて、どちらが幸福を得るでしょうか。

 

嫌なことをする人はそもそもが不幸です。
不幸だから、他人に嫌なことをするのです。満たされていないから、自分ではなく他人を責めるのです。


嫌なことをされたとき同じレベルの行為をしかえす必要はありません。土俵に上がらない、それで十分です。自ら選んで不幸を再生産したい人なのですから、放っておいてあげるのも愛です。

 

許す、とは相手がした行為を許すのではなく、相手が不幸であることを許すということです。

 

追記

2年経って、そのとき不幸であるだけで未来は変わるかもしれない、と少し視野が広がりました。相手の今に固執しないという意味で、距離を取るのは自分にとってもいい選択なのではと思います。