塩鮭のライティング遡上

文章力向上のためにひたすら書くブログです。

60:自分以外の何者にもならなくてよい

ほかの誰かになろうとしなくていいというのは、こんなにも軽ろやかでうれしいものなとかと思う夜がありました。

精神的負荷が大きいイベントを控えた友達とごはんをしていて、「そのイベントをやろうとするあなたはすでに頑張っているのだから、その前後にふかふかのクッションを用意して、十二分に自分を甘やかすのだ」という話をしました。
おいしいものを食べ、イベント後には温泉旅行でも行こう。すきなもの全部盛りにしていい、と。

張りつめていたのか友達の目に涙が見えたので、人目も気にせずはぐはぐして温かいケーキを食べました。

翻ると、自分の人生から口をついて出た言葉が大切な人の助けになるというのは思いもよらぬ贈り物でした。

クッション装備はわたしが与えられた環境で育てた良心のようなものです。
自分が難事に臨んでいた当時を思うと、各種の甘やかしをもってしても精神的に苦しかったです。難事はやらなければいけないことであり、やりたいことでもありました。なぜ自分がこんなことしなければいけないのだと思うこともありましたから、もし無理をして頑張り続けていたら他人への呪詛や嫉妬に変わっていたかもしれません。
だから、自分えらいとクッションてんこ盛りにすることで擦れずに育ってきたと思います。


自分の体験がそのまま友人の心を軽くしたこと。
そういう話をしあえる友人を大人になってから作れたこと。
何者かになろうとせず私はわたしのままで他人の助けになれること。

それらが何重にもうれしくて、生きてきてよかったなと思いました。

その日は満月で、有楽町のビルの隙間から満月の写真を撮って帰りました。
漱石ではないですが、大切な人と月がきれいだねと言い合える瞬間を幸せと呼ぶのですね。